2015.06.07

【心に残る三沢光晴】2003年12月6日 横浜文化体育館 特別試合 三沢光晴vs越中詩郎

10月に突然フリー宣言をし、他団体への殴り込みを示唆していた越中。
そこでターゲットとなったのが全日本プロレス離脱の直接の原因となった三沢率いるノアだった。
三沢のデビュー戦の相手が越中であり、キャリアは2年先輩になる。
当時から2人の対決は前座の名勝負として高い評価を得ていた。
若手の登竜門的な意味合いを持つ「ルー・テーズ杯」というリーグ戦が行われたのだが優勝戦となったのが2人の対決。
その後、2人は共にメキシコ修行の旅に出てタッグを組んで奮戦。
しかし僅か半年で三沢のみが2代目タイガーマスクとなる為、帰国指令が出された事で、これに反発した越中が全日本プロレスを離脱。
以来、2人が顔を合わす事は1度も無かった。
11月1日の武道館大会に突如、越中が現れると「おい三沢、約束を果たしに来たよこの野郎!やるのかやらねえのかお前次第だこの野郎!」とマイクで発言。
それに対して三沢は「いつでもやってやるよ!今やるか?!いつでもやるよ、オラ!」と荒々しく返答し、対戦が決定。
こうして、かつて未来のメインイベントと言われた2人のシングルマッチは18年と言う年月を経て実現したのである。
この日を迎えるにあたって越中は“侍ドライバー84”を出すと公言。
84とは三沢と別れた年。
それだけ越中にとっては因縁浅からぬ想いがある。
試合は越中がケツ攻撃を中心に試合を展開していこうとするが、この18年間と言う越中が知らない間に育って行った三沢のエルボーの重みをこの日初めて知る事なり大苦戦を強いられる。
最後はエメラルドフロウジョン、ランニングエルボーと出すが越中は返す。
すると三沢はブレーンバスターの体勢からの変形エメラルドフロウジョンを初披露して粘る越中を沈めた。
若手時代シングル戦37戦行い、1度も敗れた事の無かった越中が初めて味わった敗戦だった。

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