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【紡がれてきたNOAH】7.13日本武道館の世界ヘビー級選手権試合 【王者】齋藤彰俊vs潮崎豪【挑戦者】の闘いから目をそらすな!

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 NOAH7・13日本武道館の全カードが発表された後「LIMIT BREAK.3 GO! ~潮崎豪デビュー20周年記念大会~」6・19後楽園の結果を経て、ZERO1の世界ヘビー級選手権<王者>齋藤彰俊vs潮崎豪<挑戦者>が追加された。両者のタイトルマッチが日本武道館でおこなわれるのは2009年9月27日、三沢光晴さん追悼大会のメイン以来だ。
 もう15年の歳月が過ぎたのか…。

 2009年6・13広島で潮崎は三沢さん最後のパートナーとなり、彰俊は三沢さん最後の対戦相手となった。翌日の6・14博多で潮崎は力皇猛との王座決定戦を制し、GHCヘビー級王座を初戴冠。団体創始者の急死という悲しみを乗り越え、若き新王者が誕生したことはNOAHにとって“新たなる希望”だった。

 そんな潮崎の初防衛戦に「オレたちしかできないことがあるだろ」と名乗りを上げたのは彰俊である。2009年6月13日以降、両者の人生は大きく変わった。三沢さんの急死という試合と真摯に向かい合い、自問自答や葛藤を繰り返しながらたどり着くかわからない“答え”を探す。
 あの日以降、ほかの誰とも分かち合えない運命を背負った者同士だ。決戦の舞台に決まった三沢さんの追悼大会では入場ゲートに今は亡き団体創始者の巨大パネルが飾られていた。彰俊は覚悟を示すように白装束で潮崎との闘いに臨む。



 試合後の2人は実に晴れやかな表情を浮かべていた。過去は絶対に変えることができない。だが、それぞれの中で清算すれば未来に向かう力になる。2009年6月13日に背負った者同士、あの日から前に進むことができたのはGHCヘビー級王座を懸けて三沢さんの追悼大会のメインで闘え合えたからだった。
 それからの2人は互いにとって唯一無二の存在となる。2012年10・26新潟で潮崎がGHCタッグ王座初戴冠を果たす。2009年6月13日に三沢さんと一緒に取ろうとしたベルトを6度目の挑戦でようやく手にすることができた。隣にいたのは彰俊だ。

 

 2020年6月14日、新型コロナウイルス禍のTVマッチで彰俊が潮崎のGHCヘビー級王座に挑戦。11年ぶりのタイトルマッチでは、ベルトの形も、NOAHのロゴも、キャンバスの色も変わり、当時のことを知る選手やスタッフ&関係者が少なくなる中でも、変わらぬ三沢さんへの思いをリングに刻んだ。

 そして、今年1月2日の有明アリーナで2人は同じTEAM NOAHの一員になった。ZERO1 3・31靖国で彰俊がクリス・ヴァイスを破って、キャリア34年で初めてシングル王者となると、V2戦の挑戦者に潮崎を指名。5・29新宿でおこなわれた両者による3度目のタイトルマッチは壮絶な攻防の末に30分時間切れ引き分けという結末だった。
試合後の彰俊は「同じ方向を向いて、いま同じチームにいて、オレは間違いじゃなかったと思っている」と確認できたが「まだ答えの終着点ではない」とも語っていた。6・19後楽園の潮崎20周年記念試合後に両者はリマッチを約束。決戦は7・13日本武道館の第6試合で組まれた。

 彰俊は1990年12月にパイオニア戦志でデビューし、W★INGのエースを経て、新日本プロレスで平成維震軍の一員として活躍。2000年10月からNOAHに殴り込みをかけ、2006年から所属選手となり、2012~2014年はフリーという立場だったが、現在に至るまでずっと方舟を支え続けてきた。潮崎もNOAH初めての生え抜きヘビー級としてデビューし、2013~2015年に一時的に全日本プロレスに“家出”していたが、NOAHに深い愛と誇りを持つ。


 今年1月2日にTEAM NOAHを結成してからその関係性は、唯一無二だったこれまで以上に濃密になってきたようにも思える。これは潮崎の入門し、彰俊と出会った日から始まった物語。もしかしたら2人は2009年6月13日に背負った“答え”が薄っすらと見えてきているのかもしれない。

(文提供・週刊プロレス 井上光)

■7.13日本武道館大会 詳細は こちら

 

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