スティングがいなければムタのブレイクはなかった!? グレート・ムタの宿敵スティングとは?
グレート・ムタのラストマッチとなるNOAH1・22横浜アリーナ「GREAT MUTA FINAL “BYE-BYE”」に、ムタの歴史を語るうえで欠かせない重要人物がやってくる。その名は、スティング。1980年代終盤、飛ぶ鳥を落とす勢いだったスティングを抗争相手にしたことで、ムタがブレイクしたと言っても過言ではない。宿敵スティングもまた、ムタとの闘いによって自己のランクアップにつながったのだ。
スティングが日本のリングに上がるのは、新日本の96年9・23横浜アリーナ(スティング&レックス・ルーガー組vsアーン・アンダーソン&ロード・スティーブン・リーガル組)以来、26年4カ月ぶりのこと。ムタとスティングが日本で組むのは92年1・4東京ドームでスタイナー・ブラザーズと闘って以来(武藤敬司と組むのは96年7・16札幌での対ロード・ウォリアーズ以来)で、海外を含めると2004年4・21ハワイHCWでムタ&スティング組vsダイヤモンド・ダラス・ペイジ&小島聡組がおこなわれて以来だ。
ムタの歴史にとって欠かせない人物ながら、もはや邂逅することのないと思われていた2人。しかし2022年9月24日、アメリカAEWのニューヨーク大会にムタが突如出現、劣勢のスティングを襲うと見せかけ救出した。このサプライズにより、スティングのムタ引退試合参戦が電撃決定、しかも現タッグパートナーのダービー・アリンを伴っての来日で、ムタ&スティング&アリン組が実現するとあって、ノスタルジーだけではない、現在進行形かつ未来につなげる闘いにもなりそうだ。では、ムタとスティングはどのように出逢い、お互いのステータスを高めていったのか――。
【2022年9月24 AEWニューヨーク大会】
85年11月、デビュー1年の武藤敬司が初の海外遠征に旅立った。行先はアメリカ・フロリダ州。当時はWWF(現WWE)の全米侵攻が始まった頃だが、各地のプロモーターが興行を取り仕切るテリトリー制がまだつづいている時代でもあり、武藤はリングネームをムタの原点にもなるホワイト・ニンジャとしてサーキットを開始した。当初はベビーフェースも間もなくヒールに転向し、フロリダヘビー級王座やUSジュニアヘビー級王座を獲得。86年10月にスペースローンウルフとして帰国も、88年1月にはプエルトリコに渡った。プエルトリコではフェースペイントのスーパー・ブラック・ニンジャに変身。同年7月に闘魂三銃士お披露目で一時帰国するが、すぐにアメリカテキサス州に飛び、スーパー・ブラック・ニンジャを継続させた。毒霧を使い始めたのがこの頃で、その神秘性に目を付けたWCWから声がかかった。WCWはまだ始まったばかりの新団体だが、その資金力からWWFのオポジションとして、すぐにメジャー団体としてのポジションを獲得していく。
WCWに移ったニンジャはグレート・ムタに変身。まずは89年3・18アトランタでトライアル的にデビュー。「伊賀」と書かれた忍者風のコスチュ―ムに頭巾をかぶり、ペイント姿で登場した。当初、WCWサイドが付けていたリングネームはそのまんまのグレート・ムトー。ところがムトーは発音が難しいようで、現地アナウンサーが「ムタ」と発音。テレビ画面に映し出される表記も「MOTA」だったり「MUTA」だったりまちまちだった。結局、アメリカ人が発音しやすいムタに落ち着いたのだが、ミステリアスなムードも手伝い、すぐに人気に火が点くこととなる。
当時、WCWで頭角を現していたのが前身団体からそのまま移行してきたスティングだった。59年生まれのスティングは身長191センチで、WCW入りでヒールからベビーに転向。バネのある高い身体能力をベースに、カラフルなコスチュームとフェースペイント。アメリカンコミックのスーパーヒーローを思わせるキャラクターで絶大な人気を博したのである。
リック・フレアーへの挑戦で名を上げたスティングは、89年3月31日にマイク・ロトンドからNWA世界TV王座を奪取。その頃出逢ったのがムタだった。同23日のウエストバージニア州ハンティントンで初シングル。いきなりタイトルが懸けられ、スティングが反則勝ちで防衛した。5月に入ると連続でタイトルマッチが組まれ、テレビ収録試合やハウスショー、さらにはビッグマッチまで、各地で話題となっていく。たとえば同年8月には両者のシングルマッチが13試合組まれている。ムタvsスティングとはまさしくWCWのドル箱カードだったのだ。
スティングとの抗争を起点に、ムタはWCWのトップレスラーたちとも相まみえるようになっていく。テリー・ファンクらと日本テキサス連合軍を意味するJ―TEXコーポレーションを結成。NWA世界ヘビー級王座をめぐるフレアーとスティングの関係から、ムタもフレアーのベルトに挑むようになった。早い段階から王者クラスの選手と連日にわたり対戦。また、あえてしゃべらないキャラクターから観客に伝わる表現方法を工夫しなければ生き残れない。このような環境がムタの振り幅を広げていく。武藤敬司が「プロレスリングマスター」と呼ばれる土台が、WCWでのムタにあったのだろう。
そして、9・3アトランタにおけるノーDQマッチで王座が移動、ムタがスティングを破りNWA世界TV王者となった。その後は立場逆転で両者のシングルマッチが継続。たとえば、9・26ベックレーから9・30バッファローまで5日連続でタイトルマッチがおこなわれた(すべてムタが名誉の反則負け防衛)。ほかにもノンタイトル戦やタッグマッチなど連日にわたりムタとスティングがやり合っていたのである。しかし、90年1・2ゲインズビルにてアーン・アンダーソンに敗れ王座が移動。1・21リッチモンドでのスティング戦が最後のシングルで、ムタは2・6「クラッシュ・オブ・チャンピオンズ」でWCWに別れを告げた。ムタ第1章のピリオドである。
【写真:1991年3月3月21日@東京ドーム グレート・ムタvsスティング】
【写真:1992年1月4日@東京ドーム グレート・ムタ スティングvsリック・スタイナー スコットスタイナー】
スティングは7・7ボルティモアにてフレアーを破り、悲願のNWA世界ヘビー級王座に到達した。とはいえ、ムタとスティングとの関係は、武藤の凱旋帰国後も続く。新日本とWCWの提携から91年3・21東京ドームで一騎打ちをおこない、9・22後楽園では武藤ではあるが藤波辰爾を交えたトリオを結成。92年1・4東京ドームではムタとスティングのタッグが実現、11・22両国ではムタのIWGPヘビー級王座にスティングが挑戦した。また、95年9・23横浜アリーナでは武藤とスティングのシングルもおこなわれ、翌日の武藤地元凱旋では武藤&スティング組でスコット・ノートン&ビッグ・ブーバー組と激突した。スティングの初来日は89年の全日本だったが、新日本には91年から96年にかけて来日、全25試合をおこなった。その間もムタのWCW遠征で両者は対戦。92年12・25&26でシングル2連戦、12・26フィラデルフィアでスティング&ムタ組が蝶野正洋&ビッグバン・ベイダー組とぶつかっている。
90年代中盤、WWFとWCWの月曜テレビ戦争が勃発。WWFの「マンデーナイト・ロウ」と同時間帯にWCWが「マンデー・ナイトロ」をぶつけたのだ。この視聴率戦争は元WWFのハルク・ホーガンがWCWに移籍しヒール転向、nWo路線の大ヒットにより、2年近くもWCWがWWFを追い抜く時期があった。この時期、スティングは白と黒を基調としたペイントとコスチュームでnWoに立ち向かう孤高のヒーローとして君臨、対するムタは蝶野につづきnWo入りを果たした。
2000年の7月から9月にかけ、WCWで再びムタとスティングが対戦。トップスターの仲間入りを果たしたバンピーロとムタが組むようになり、ムタ、スティング、バンピーロの3WAYマッチも組まれている。のちにバンピーロはメキシコでトップルードとなるのだが、この時期におけるムタ、スティングとの関係が大いに参考になったという。そして、結果的には00年9・23ルーボックでの試合が、ムタとスティング最後の一騎打ちとなっている。
このような歴史を経て実現するムタ&スティング&アリンによる夢のトリオ。しかし残念ながら、日本におけるスティングの評価は正直芳しいもではなかった。ド派手なアメリカンプロレスが、レスリング技術を重要視する当時の日本のファンにはなかなか受け入れられなかったのだ。現地での圧倒的なカリスマ性が日本では通用しないケースがプロレス界には存在する。アメリカでの典型がスティングであり、メキシコのバンピーロ、ヨーロッパのランボーだ。
とはいえ、現在はどうだろう? たとえば80年代あたり、NWA世界王者やAWA世界王者の試合は日本の一部ファンに不評だった。その評価が激変したのは後年になってから。それだけに、年齢を重ねたとはいえWCW崩壊後もTNAで活躍、WWE殿堂入りも果たし、いまもAEWでスーパースターの存在感を示しているスティングだ。ムタとの邂逅は、ほんとうのスティングを味わうまたとない機会にもなるだろう。1月22日、両者にもなじみの深い横浜アリーナ、ムタのラストマッチからムタとスティングが奏でる最後のフュージョンを堪能したい。
(文:新井宏)
■武藤敬司引退ロード特設サイトはこちら
・日本語ページ:https://www.noah.co.jp/muto_final/
・英語ページ:https://www.noah.co.jp/muto_final_eng/
【大会情報】
ABEMA presents GREAT MUTA FINAL " BYE-BYE"
・日程:2023年01月22日(日) 開始:15:00/開場:13:30
・会場:神奈川・横浜アリーナ
◇ABEMAでのご視聴はこちら
◇WRESTLE UNIVERSE(英語実況)でのご視聴はこちら
https://www.wrestle-universe.com/ja/lives/5bwH2YkPNuUV69hYPX5Tpx
【チケット情報】
・VIP席 100,000円 ※売切
・センターA席 20,000円 ※売切
・センターB席 15,000円 ※売切
・アリーナA席 12,000円 ※売切
・アリーナB席 10,000円
・アリーナC席 7,000円
・スタンド席 5,000円
※本大会では、レディースシート、エキサイトシート、ソーシャルディスタンスシート、学生シートの販売はございません。
※車椅子、付き添いの方のお席はアリーナB席のご購入となります。事前にプロレスリング・ノア公式ホームページ、またはキョードー横浜までお問合せ下さい。
※未就学児は保護者の膝上にて無料(大人1名につきお子様1名)
【チケット販売所】
・チケットぴあ
受付URL:https://w.pia.jp/t/great-muta/
・ローソンチケット
受付URL:https://l-tike.com/great-muta-final
・イープラス
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