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【齋藤彰俊引退記念SPECIALインタビュー中編】昔は「攻撃こそ最強」のイメージだったのが、三沢さんから受けの恐怖を味わった

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 11月17日、愛知・ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)における『Deathtiny』で引退する齋藤彰俊。その波乱のプロレス人生を振り返るSPECIALインタビューの中編は、1998年末で新日本プロレスを退団後、2000年10月からのプロレスリング・ノア時代。新日本退団後、NOAHに上がるまでの約2年の空白から話はスタートする。(聞き手/小佐野景浩)


――1998年いっぱいで新日本を退団して2000年10月11日のNOAHの愛知県体育館に上がるまでの約2年間、齋藤選手はどこで何をしていたのですか?


齋藤 新日本を辞める時に長州さんに「今のお前なら何でもできるぞ」って言われて…お酒が好きだったし、バーテンもやっていたので、不動産屋が「絶対にここは流行らない」っていう場所を見つけて、そこでバーをやることにしたんですよね。近くに駅もなくて国道沿いだったので「ここで飲食店は絶対に無理です」と言われたから「じゃあ、ここにしよう。ここで成功したらプロレス界に戻ろう」と。

――ということは、そこが成功したと。


齋藤 いや、そんなに甘くないんですよ。昼間もランチとかやったんですけど、お客さんが1日1人とか。これじゃあちょっと生活もできないってことだったですけど、自分のわがままで辞めたことなんで、家族には一切働かないでくれと。で、朝から産業廃棄物のトラックに2回ぐらい乗りまして、そのあとトレーニングをして、それでバーをやるという感じに変えまして。じゃないと無理だったので。産廃の仕事をやる時は昔のTシャツを着てるんで「何だ、お前、プロレス好きなのか?」とかって言われながらとか。同じマンションに住んでいる人も、それまではレスラーの齋藤彰俊だったので「齋藤さん」って言ってたのが「齋藤君、最近、何やってんの?」とか。あと、お店に子供も連れてきて「今さ、こんなことやってんだよ」とかって言われたり。でも絶対に元プロレスラーだとか、お店の宣伝もしなかったんですよ。


――“プロレスラー、齋藤彰俊の店”にはしなかったですね。


齋藤 一切言わずに。で、2年近くはかかりましたけどお客さんが入るようになって、ある程度は繁盛するようになったんで、今ならハングリー精神も取り戻せたし、プロレス界に戻ろうという感じでした。

――そこで古巣の新日本ではなく、NOAHに上がるようになった経緯というのは?


齋藤 昔から新日本派みたいな感じではあったんですけど、プロレスは日本プロレスから全日本と新日本に分かれたので、その2大メジャーを体感しないとプロレスを知ったことにはならないなと思ったんですよね。で、今は多少違うかもしれないですけど“攻撃の新日本”“受けの全日本”みたいな。で、全日本の中から3人ぐらいを除いてほとんどNOAHに移ったということでしたので、ならば全日本系列のものも体感しないとっていうことで、そっち側(NOAH)に行きたいってことになりまして。


――NOAHに何か伝手はあったんですか?


齋藤 (青柳)館長が連絡を入れていたみたいですし、三沢(光晴)社長が東海ラジオに営業で来られていたので、どうしてもお会いしたいということで直接、お願いに上がりました。その時は立ち話を数分ですよね。


――齋藤選手と青柳館長がNOAHに上がったのは画期的なことで、その年の8月に旗揚げしたNOAHにとっては初めての異分子で、対戦する丸藤正道&井上雅央は対抗戦モードでした。セコンドに金丸義信、森嶋猛が付いていましたし。齋藤選手の意識としては殴り込みでしたか?


齋藤 あの時、テスト参戦と言われていたので、最初の頃と同じチャレンジですよね。キャリア、年数に関係なくチャレンジっていう感じで。新日本の頃に「本隊に戻ってこい」って言われたんですけど、いまだかつて団体の本隊にいたことがないので、だから自分が行けばほとんど対抗戦になってしまう(笑)。そんな気持ちでしたね。


――2年近い空白を経てのリングはいかがでしたか?


齋藤 これが不思議なんですけど、小林(邦昭)さんの引退の時(2000年4月21日、後楽園ホール)に立っただけで、1回もリングに上がってないんですけど、記者の方たちが書いてくれたのが「以前より光が増した」って。だから皆さんも何かチャレンジしたいっていう時は、今だったらNOAHを観てもらって、それで「こういうこともできるんだぞ!」というものを感じてもらいたいなって。


――三沢さんは「試合に関しては合格点」と。その後、三沢さんとはお話されたんですか?


齋藤 三沢社長はそんなに口数が多いわけじゃないんですよね。言葉は少ないんだけど「わかった」とか「合格」とか「任せておけ」って言うのは、それだけで伝わり方も違いますし。「合格」って言われる前に「新日本でいくらもらっていたの?」って電話で言われたことがあったんですけど、素直にいくらですって言ったら「いや、別に無理して来てくれってことではないんで」って言われたから「いや、違うんです。お金じゃないんです。どうしてもここでやりたいんです」って(苦笑)。三沢さんと会って、この人の下でやってみたいなと思ってしまったので。そこからは、そんなに言葉はないんですけど「齋藤のことを知りたいからちょっと飲もうよ」とかっていうのはあったりしました。


――01年3・2両国のZERO-ONE旗揚げ戦ではフリーながら背中にNOAHの4文字が入ったコスチュームでしたよね。


齋藤 新日本系とNOAHの対抗戦みたいな感じで「果たして齋藤はどっちに行くんだろう?」みたいなところがあったんですけど、やっぱりそこは「俺はNOAHなんだ!」と。まあ、フリーなんですけど。


――気持ちはNOAHだと。


齋藤 そうなんですよね。所属じゃないんですけど、あそこで自分なりに気持ちを表したというところですね。


――いざ、NOAHに上がって、新日本との違いを感じましたか?


齋藤 特に昔は自分が攻めていても「休むな、コラーッ!」みたいな感じの攻撃が新日本だったんですけど、どちらかというとNOAHは受けというか。昔は「攻撃こそ最強」みたいなイメージを持ってたんですけど、三沢さんとかと戦っている時に「どうだ、これで倒れるだろう」と思ったことをすべて受けられると、攻撃で受けるのとは違う恐怖が出るんですね。「あっ、受けは受けで怖くて強いな」っていうのを感じましたね。それがNOAHです。「じゃあ、その後、自分は何をしたらいいの?」って思わせてもらうような怖さを味わいましたよね。あと、もちろん空手出身ですし、格闘技をやってたんですけど、格闘技では肘というのは危なくて禁止しているところが多いんですよ。それが得意技なんですから、それは怖いですよ(苦笑)。自分は右と左の顎の骨が違うんですよ。変形した左側の顎を触ると、身近に三沢さんを感じられて、自分にとっては宝ですけど。それぐらいの衝撃がありました。


――NOAHに上がるようになって、それこそ本隊ではなくスターネスの秋山準とタッグを組みましたけど、秋山選手と組もうと思ったのは?


齋藤 誘われたというか、秋山さんが自分に興味を持ってくれたんですね。「組んだら、面白んじゃないかな」みたいに言われて、それで自分もやろうと思ってですね。


――多分、秋山選手はNOAHの人間ではない要素を持った選手と組みたかったのかもしれませんね。そうすれば違う色が出せますから。


齋藤 もちろん馬場さんとかから教わってきたことから見ると伸びしろ…っていうほどでもないですけど、自分はまだまだ知らないことが多いなっていうので、ちょっとやり甲斐があると思ったのかもしれないですね。


――実際、組んでみて秋山選手とのタッグはどうでしたか?


齋藤 NOAHは受けのイメージだったんですけど、それとは違う攻撃的な部分があったり、いろんな刺激的なことがありましたね。「プロレスとは何か?」っていうこととか。たとえばコーナーに控えている時でも、手を握っている感じとかでも、お客さんへの伝わり方が違うとか、そんなところまでもありましたよね。


――02年9月23日の日本武道館で秋山選手と力皇猛&森嶋猛のワイルドⅡからGHCタッグ王座を奪取したのが齋藤選手のNOAHでの初戴冠です。5月6日の仙台での初挑戦では胸骨骨折のアクシデントで敗れてるんですよね。


齋藤 故郷の仙台だったんですけど、力皇選手の投げ技で落とされた時に自分でもベキベキベキッていう音が聞こえたんですよ。お客さんも3列目ぐらいまで音が聞こえたらしいです。胸骨が3つに割れて、頸椎もイッてという感じでしたね。一応、手と足を動かしたら動いたんですけど、呼吸ができなかったんで、1回リングの下に降りて。最後まで何とかやったんですけど、救急車ですよね。だけどプロレスラーだっていうのがあるんで、看護師さんに「大丈夫ですか?」って言われたんですけど「ご飯はこの辺でどこが美味しいんですかね?」とかって(笑)。翌日、新幹線で帰りまして、地元の名古屋に戻ってからも「1回、診てください」と。やっぱり“プロレスラー、齋藤彰俊”っていうのがあったんで、名古屋の病院に行った時も「ああですよ、こうですよ」みたいに言ってたんですけど、レントゲンを撮るのでうつ伏せになった時に痛くて「ウーッ!」って言ったら「じゃあ、折れてますね」って。「いや、だから折れてるから診てくださいっていってるじゃないですか」って(笑)。


――プロレスラーは怪物でなければいけませんから(笑)。それがあっての初戴冠だから、喜びもひとしおだったでしょうね。


齋藤 もう1回チャンスをくれた会社にももちろん感謝ですし、パートナーの秋山さんにも感謝ですし、受けてくれたチャンピオンのワイルドⅡにも感謝ですし。ここでこれだけチャンスを貰って、それも何ヵ月間かのブランクがあったので「ここで獲らなきゃ男じゃないだろ」っていうところはありましたね。


――ブランクと言っても4ヵ月ですから、怪我を考えれば凄い回復力ですよ。

齋藤 ビックリされたのは1週間目ぐらいにまたレントゲン撮った時に「あっ、もう骨がくっつき始めてますね」って。若かったんですね(笑)。


――でも、ここからが齋藤選手らしくて、さらに向上を目指して04年夏に秋山選手とのコンビを解消して自分のユニットを作るという。最初、井上雅央選手とコンビを結成して、そこに杉浦貴選手が加わるという形でした。名前を公募したら、モーニング娘。ならぬ『イブニング息子。』とかの面白ネタもありましたけど、最終的にダーク・エ―ジェントという名前は齋藤選手が付けたんですよね。


齋藤 あの頃、闇というか、世の中を支配しているのは闇だろうと。「綺麗事を言ってるけど、何だかんだ裏があるだろう。じゃあ、闇の代理人だ」と。「ファンの方にも心の闇があるだろう。それを代理人として俺たちがやるよ」っていうような感じですよね。あの頃、打悪(ダーク)神社っていうのを作ったんですよ。神棚を黒く塗ってもらって、会場に来たお客さんに願い事をしてもらうという。それを作ってもらった人はみんな熱を出したみたいです。だからダメですよ、神棚を黒くするのは(苦笑)。自分たちは大丈夫でしたけど。


――その頃から齋藤選手はエッジが効いていましたね(笑)。


齋藤 でもダークを漢字にすると打悪…「悪を打つ」なんですよ。だから闇だけど、悪ではないよと。


――ダーク引っ越しセンターというのもありましたね。当時のGHC王者の小橋建太選手を梱包して、割れ物注意のステッカーを貼って(笑)。


齋藤 すんごい怒られたんですよ! 小橋さんて偉大な方じゃないですか。で、強いですし。でも対抗戦をやって、向こうがラフファイトをやってきた時、小橋さんが頷いたから「あっ、やり返すんだ!」と思ったら、正当な技で返すんですよ。それはそれでいいんですけど、ファンの中には「行けよ!」っていうのもあったりしたから「じゃあ、本当に怖い小橋さんを見たいな」と。その時にダーク引っ越しセンター…額にお悔みって書いて、グルグル巻きにして、割れ物注意を貼って。小橋さんがグルグル巻きを解いて控室まで怒って来たんですよ。だけど、何か餌があればそっちの方に行くじゃないですか。だから井上雅央を餌にして自分たちは逃げたんですけど(笑)。いや、かなり怒られましたね。「選手権も取り消すか」と会社に言われるぐらい。


――でも作戦成功というか、それによって04年10月24日の大阪府立体育会館でのGHC戦では怖い小橋建太を引き出すことに成功しました。


齋藤 怖い小橋さんを見たいというのもありましたし、本気でやってるんですよ、怒らせるために。なんですけど、試合の選手権だけは“死神の齋藤”で行こうと。一切、おちゃらけとかネタはなく。あの時、小橋さんに顔面を2発殴られているんですよ。1発目をもらって、痛くて意識が飛び始めてるんですけど「してやったり!」だったんですよ。「今までこんな小橋さん、みんな見たことある?」っていう。その反対で自分は衝撃が強過ぎて負けちゃったんですけど、でも自分の中では“ダーク・エージェントは何か”を伝えられたかなというところはありました。


――齋藤選手は突き詰める部分と、面白い部分と両面を持ってますからね。例えばディファ有明でのクリスマス興行のネタとか。


齋藤 その時、その時の年末に話題になっていたものをやってたんですけどね。クリスマスだけは、ファンに対するクリスマス・プレゼントという感じなんで、死神から天使へという感じで1回目(01年)は天使だったと思うんですね。ハロウィン(02年10月31日)は『パンプキンDEATH(です)』でしたね。小橋さんとやった時(11年)は『家政婦のミタ』が流行っていたのかな?


――松嶋菜々子演じるミタさんキャラになって、リングアナに「『家政婦のミタ』ですか?」と聞かれて「いえ『クリスマスのネタ』です」と無表情で答えて(笑)。しかも相手には小橋選手がいて(家政婦のネタ=斉藤&井上雅央&金丸義信vs小橋&佐野巧真&リッキー・マルビン)。


齋藤 あの時も怒ってましたよねぇ。「齋藤選手は僕と当たっても、あれでやろうと思ってたんですか?」って言われたんですけど「コスチュームはこれしか持ってきていないんで」って(笑)。


――クリスマス興行は、その場の抽選でカードが決まるので、どうにもならないですから。


齋藤 ハロウィンの時も、パンプキンのマスクを付けていた時に三沢社長に「そんな恰好するのは誰だよ?」って言われましたね(笑)。でも幅は広くなりましたね。


――NOAHの正式な所属になったのは2006年1月1日なんですね。初参戦から5年以上かかっていますが、何か理由があったんですか?


齋藤 いや「入れ」って言われなかっただけで、所属としては認められていなかったんでしょうね(笑)。でもNOAHのリングで戦えるので。


――それが改まって話があったと?


齋藤 ありましたね。三沢社長の「ウチになくてはならいない存在になったからさ」の一言があって「じゃあ、わかりました」と。その時、肖像権が日本テレビさんにあるとかで、お店とかできないとかっていうのがあったので「じゃあ、NOAH1本で」と。

――08年にはバイソン・スミスというパートナーが生まれます。4月の『グローバル・タッグリーグ戦』で三沢光晴&小川良成を撃破して優勝し、5月23日に丸藤&杉浦からGHCタッグ王座を奪取します。


齋藤 外国人なんですけど、自分はよく「青い目のサムライ」と言っていて、当て字なんですけど「梅村(うめむら)君」と呼んだりしていたんですけどね。何か通ずるものがありました。身体能力もありますし、力も強いですし、戦っている中で、言葉の壁がありながらなんですけど、気持ち的にひとつになれることが多くて、どんどん絆が強くなっていきましたね。またリング上の怖さと違って、リングを降りた時にプライベートでちょっと一緒に食事に行ったりなんかする時の笑顔がまた何ともよくて。


――バイソンは2011年11月22日に心不全のためにプエルトリコで38歳の若さで急逝してしまいました。


齋藤 確か最後、北海道から外国人選手がそのまま帰国して、その時にバイソンが「じゃあ、よいクリスマスとよいお年を」って感じで「じゃあ、またね」みたいな感じだったんですけど、その後に突然だったんで…。


――札幌での最後の試合が11月20日で、亡くなったのが現地時間の22日ですからね。

齋藤 初めバスの中で「バイソンが…」っていう噂が出たんですよ。だけど、まだハッキリしたことはわからないからって言ってたんですけど、それが実際のことになってしまって。「また会おう」って言ったままですからね…。


――バイソンとのGHCタッグは秋山&力皇、田上明&森嶋にも防衛して、そして09年の『グローバル・タッグリーグ戦』に優勝した三沢&潮崎豪と09年6月13日に広島との防衛戦につながっていくわけですよね。そして、あの事故が…。


(後編に続く)

【「齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny」概要】


「齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny」

・2024年11月17日(日)愛知・ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)

 開場14時00分 試合開始15時00分

・主催:株式会社 CyberFight

・協賛:WINTICKET / ドットマネー / 株式会社マイクロアド / SmartNews / ザ・リーヴ / EZIGEN

・運営協力 SUNDAY FOLK PROMOTION


<チケット料金>

・VIPシート(最前列・特典付き) 50,000円(当日50,000円

 ※一部、前に実況席・本部席があるエリアがございます

・アリーナS席(2列目~6列目)    20,000円(当日20,000円)

・アリーナA席(7列目~11列目)  10,000円(当日10,000円)

・アリーナB席(12列目以降)       7,000円(当日7,000円)

・アリーナひな壇席               12,000円(当日12,000円)

・スタンドS席                    8,000円(当日8,000)

・スタンドA席                     6,000円(当日6,000円)

・スタンドB席                     5,000円(当日5,000円)

※本大会では小中学生は無料となります

・こちらは大会当日のみの対応となります

・大人の方が前売り券をすでにご購入の場合は並びになるよう手配しますが、

 お席は変更(席種変更も含め)になりますのでご了承ください

 ※差額分の返金などは行いません

・当日券販売中に予定枚数終了の場合もございますのでご了承ください

・事前のご予約などはお受けしませんのでご了承ください

・年齢、生年月日の証明出来るもの(保険証/学生証/マイナンバーカードなど)をご提示ください

・前売券にて売り切れの場合はご利用できません

・お席は主催者側で選定させていただきます

・大人の方と一緒に観戦を希望の際は必ず大人の方とご一緒に受付までお越しください

※車椅子でのご観戦につきましては、事前にプロレスリング・ノア事務所までお問合せください。

 プロレスリング・ノア https://www.noah.co.jp/contactform/


<チケット販売所>

・e+(イープラス)https://eplus.jp/noah/ (パソコン&スマートフォン)

パソコン&携帯にて予約→セブンイレブン全店、ファミリーマート各店頭にて購入可能

ファミリーマート店内Famiポートにて直接購入可能

・チケットぴあ【Pコード=594-150】

セブンイレブンにて販売・発券可能

・ローソンチケット 【Lコード:41110】

ローソン、ミニストップ店頭ロッピーにて購入可能

お問い合わせ先 https://l-tike.com/contact/


【「齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny」チケット販売スケジュール】

・一般販売:8月23日(金)12:00~


皆様のご来場、お待ちしております!

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