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【齋藤彰俊引退記念SPECIALインタビュー後編】あの日、背負ったものは引退後もずっと。11月17日はNOAHで生きてきた背中を見せます

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11月17日、愛知・ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)における『Deathtiny』で引退する齋藤彰俊。その波乱のプロレス人生を振り返るSPECIALインタビューの後編は2009年6月13日、広島グリーンアリーナ小ホールにおけるバイソン・スミスと組んで三沢光晴&潮崎豪の挑戦を受けたGHCタッグ戦からのプロレス人生。09年6月13日20時43分、齋藤のバックドロップで叩きつけられた三沢は立つことなく、レフェリー・ストップで試合終了。広島大学病院に緊急搬送された三沢は22時10分、帰らぬ人となった。試合中に起こったアクシデント…そこから今も齋藤が背負っているものとは――。(聞き手/小佐野景浩)


齋藤 自分が対戦相手なんで、警察的には容疑者みたいなところもあるわけです。


――事故ですから事情聴取はありますよね。


齋藤 ありましたし。そういうところ(=事件性)がないからだったと思うんですけど、先生に「三沢さんの部屋にいていいよ」と言われまして。亡くなってから24時間はそのままにしておかなければいけないんです。それは生き返る可能性があるということで。どこか信じられないところがありましたし「戻ってきてほしい」というのもありましたし、ずっと朝までいまして…。ただ奥様が来られるし、次の日に試合もあるから戻りなさいということで、広島の病院からホテルまで歩いて帰ったんです。朝ですから新聞も並んでいるわけですよね。そうすると三沢さんのことがデカく載っているわけですよ。「これは事実なんだ、現実に起きたんだ」っていうのがあって。皆さんもそうだと思うんですけど、憎かったり、許せない人をそうするのは…いけないことですけど、まだわからないでもないですよね。でも尊敬していて、この人の下でやりたいと思っている人がそうなった時にはいても立ってもいられないですし、ホテルまで歩いている時に自分自身で命を絶って責任を取るのか、もしくは引退して責任を取るのかと。今日、試合があると。自分の名前も一応出てると。じゃあ、どうするか。「今、決めなきゃいけない」と思った時に太陽の光でキラキラしている川があって、その川面を見たんですよ。確かに自分の命を絶つことも自分自身の決断としては大変なことですし、引退するっていうのも自分がやりたくてやっていたものを辞める。でも、この2つは、自分で責任を取ってるようには見えるんですけど、じゃあ、残された人たち…例えばファンの方とか、身内の方とか、選手が気持ちをぶつける相手がいなくなったら、どうなるのと。ぶつけたいけど、届かないとなった時に「いや、これは違うな。逃げることもなく、隠れることもなく、自分の正当性を訴えることもなく、すべて受けよう」と、そこで誓ったんですよ。川面を見て瞬時に決めて。「今日はリングに上がろう。みんなの前に齋藤彰俊として手の届くところに出よう」と。「そこで刺されようが何しようが悔いはない」という気持ちでしたね。


――事故の翌日の6月14日、実際に博多スターレーンに行って、自分の試合の番が来て、お客さんの前に出て行くっていうのは怖かったり、辛かったりというのは絶対にあったと思うんですが。


齋藤 でも、それを上回る自分の決心があったのと、三沢さんには、まだまだやりたいこととかいろんなことがあったと思うんですよ。それが断たれたのに対して、自分が辛いとか何とかっていうのは微々たるものだなっていうのがあって、「自分に誓った限りは」って感じでしたね。


――どういう声を浴びようが、それこそ刺されようが、すべて受け入れようと。


齋藤 すべて受けるって決めたので、それは今もまったく変わってないですね。


――あの時、2009年ですから、もうSNSが発達していましたよね。今、特にSNSでの誹謗中傷や、芸能人の不用意なコメントなどが問題視されますが、齋藤選手に対しても人殺しだとか「お前が三沢を殺したんだ」と書き込まれたと思うんですよ。もしかしたら今もあるかもしれませんが…。


齋藤 今もあります。


――そういう状況っていうのは、どう自分の中で受け止めるというか、消化しているのでしょうか?


齋藤 本当に三沢さんに対する感情があって来る人も初めの頃はいましたけども、中にはそうじゃない方もいるじゃないですか。でも、そこの線引きっていうのは自分が判断するわけにはいかないんですよね、人の心なので。これは「受ける」と決めた以上、どんなものでも来た時にはちゃんと受け止めています。自分宛てに来たものは返信してます。去年も返信しましたし。あと今回の引退会見の時にも言わせてもらったんですけど、言われることは正論なんですよ。実際に何か原因…何かがなければ、そういったことにはならない。だから自分の中ではよく「現実と真実」っていう言い方をしてるんです。…10年ぐらいして、初めてお医者さんが本に書いてくださったんですけど、頚髄がきれいに切れていたらしいです。疲れや衝撃が蓄積されて切れることはないらしいです。もし切れるとしたら首を3度、4度回すとか、車に引きずられるとか。でも、そうすると骨がグジャグジャになるんですけど、そうじゃなくて切れていたっていうのを本に書いてくださっていて。自分は知っていたんですけど、でも、なぜそうなるのかはわからないことなんですね、医学的には。


――首に何の損傷もなく頚髄離断というのは、有り得ないことのようですね。


齋藤 バックドロップの時、本当に鮮明に憶えているんですけど、肩のところまで上げるまでは普通だったんですけど、その後にグーンと重くなったんです。それが物理的なものなのか、気持ち的なものなのかわからないんですけど。普通、初動の段階から上げる時に一番力がいるんですけど、肩まで上がればそうでもないのが、そこで重さが加わって、あのようになった。でも、どうであれ、現実として自分が投げてあのようになったという。医学的なことはまったく関係なしに、真実もどうであれ、現実がそうだということで言い訳も一切しないしという。あの投げ方も賛否両論ありますし、某有名選手も「あんなことをしたら。それはそうなるよ」って言っていたんですけど、でもそれはまた違う部分があるんですよね。それはまあ、言わないですけど。だから「すべてを受ける」と言ったからには…引退しますけど、引退した後でも「生きている限りは…」と思ってますね。


――引退してからも、ずっと受け止めていくんですね。


齋藤 自分がそういうふうに言ったことに対してファンの方が擁護してくれて「齋藤は悪くない」と。だけど現実はこうだから、もし何かがあるんだったら俺自身にくれってことですよ。それはすべて返すから。去年なんかもそうですけど「お前なんか、すぐ辞めろ」って来たんですけど「自分の中で約束があって、決めたことがあるので、それだけはまっとうしたいので、すみませんが、もう少しリングで戦わせください」っていう返信はちゃんとしています。自分個人に来たものに関しては。


――あの広島から15年以上も背負い、これからも背負うのは凄いことだと思います。


齋藤 幼稚園と小学校の時、クリスチャンというわけではないんですけど、キリスト教の学校にいたんで「俺は死んだら地獄だな」みたいな感情があったりするんですけど。自分自身の中でそれを背負うと言うと、今の副社長の丸藤(正道)選手が「ひとりじゃなく、みんなで背負いましょうよ」って。それもそうですし、辛い思いをしたのは自分だけじゃなく、ファンの人もそうだし、ご家族もそうだし、選手もみんな同じぐらい辛いし、同じものを背負ってるんですけど、でも自分自身しか背負えないことがあるんで、それはどうあれ、自分がやらなければ、自分自身が許せないというのがあるので。だから重かろうがどうだろうが、背負うという。


――亡くなってから何ヵ月かして、三沢さんが生前にしたためていた手紙が、ある人を通じて齋藤選手に届いたんですよね。


齋藤 試合用のバッグには必ず入れているんですけど。それを見た時に今回の状況が書いてあるわけですよ。こんなことを試合前から思われていたんだなと。


――「何かあったら、すまない」という謝罪の言葉だったり、あとは「プロレスを続けていってほしい」「最後の対戦相手になった意味を考えていってほしい」というような内容と伺いました。


齋藤 「自分の意思とは違って、リング上でそうなることもあるんだよ」「これは運命で、そういったこともあるんだよ」ってことも書かれてましたんで、まさしく今回のことだなと思ったんですけど、ただ、いろんなところで自分の中に問いかけもあって、答えがなかなか出なかったんですけどね。


――そして今、その答えというのは…。


齋藤 自分がどうするべきか、果たしてこれでいいかどうか、これからどう生きていくか…許してくれているような文書はあるんですけど、果たしてこれでいいのかとか、これがもし自分が三沢社長の立場だったら「お前、よくやった」って言うのかとか。そういうのを日々、何年もかけて答え合わせをしていくっていう。で、武道館の時(7月13日の潮崎との世界ヘビー級戦)に、自分の中でちょっと「ああ、守れたかなあ」みたいなところがあったっていうのが一連の流れではありましたね。


――三沢さんが亡くなったのが6月で、3ヵ月後の9月12日の後楽園ホールでの森嶋猛との試合で初めてバックドロップをやって、その直後の9月27日の日本武道館における三沢メモリアルにおける潮崎選手とのGHC戦でもバックドロップをやりました。


齋藤 今でも自分の中でバックドロップを使う選手と使わない選手がきちっと分かれているんですよ。でも、これをもし封印して出さなかったら、あれがそういう技だっていうようなことを認めてしまうことになる。で、自分がバックドロップを出す時って、レスラーとしては不思議なんですけど、あれで三沢さんが動かなくなったので「このバックドロップを受けて、もう立たないでくれ。このままフォールさせてくれ」っていう気持ちと「いや、立ってくれ」の気持ちで投げるんですよ。両方なんですよ。その2つの気持ちが入り乱れながら使うって感じですよね。


――でも初めて使った時は非難する声もあったでしょうね。


齋藤 ブログ、SNSで借りていた地元の局のサーバーがパンクしましたからね。それぐらいブワーッと来てましたんで。


――でも最初の潮崎戦…三沢さんが亡くなった翌日の博多で力皇猛との王座決定戦に勝ってGHCヘビー級王者になった潮崎選手の初防衛戦となった9月27日の日本武道館ではバックドロップを使わないと2人とも前に進めないというか。


齋藤 そうですね。それはありましたね。自分は投げる勇気と決断、覚悟。シオの場合は投げられる覚悟と立つという部分ですよね。そこは2人しかできないことだと思ってましたんで。


――その後も齋藤選手はいろいろあって2012年1月から14年6月の2年半、所属ではなくフリー契約という期間がありました。


齋藤 はい、戦力外ですね。それまで巡業で試合があったんですけど、そんな気配もなく、家に帰ってポストを見たら「今回で…」みたいな戦力外の通告を受けまして。クリスマス興行(11年12・24ディファ有明)の時に「このまま辞めますか? それともフリー契約で、もし必要とされた時に呼ばれますか?」みたいな話があったんですよ。その時に自分は「呼 ばれなくても、どうあれ心はなんで」とフリー契約をしたんですけど、その時、クリスマスですから、皆さんに笑ってもらおうと思ったんですけど、その時に一緒にいた会社の会計の方が1列目でネタを見て笑ってくれて「自分は笑える気持ちじゃないんだけどなあ」みたいな(苦笑)。でも、ファンの方には笑って、楽しんでもらいたいと。クリスマスですからね。だから全力で楽しんでもらおうというのはありましたけどね。


――公になったのは年明けの12年1月でしたから。でもフリー契約になってすぐの12年1月22日の大阪で秋山準と組んでGHCタッグ王者になりました。


齋藤 あの時は新日本プロレスの方がベルトを持っていたんですよね?


――ジャイアント・バーナードとカール・アンダーソンのバッド・インテンションズがチャンピオンでした。


齋藤 そこに選ばれたっていうのも信頼されているという証なのかなと。なので、獲った時は「NOAHにベルトを戻せた!」って嬉しくて。まあ、NOAHの人間じゃないのに嬉しくて「よーし!」と思って会見しようと思ったら、隣で秋山さんが怒っていて、とても喜ぶ雰囲気じゃなくて(苦笑)。


――秋山選手は齋藤選手の契約に関して「何でこんなにNOAHのためにやっている人間がクビ切られて、タイトルマッチに出てるんだよ。いい加減にしろ! ちゃんとやれよ、全部! 選手の気持ちを考えろ!」と机を叩いて激怒していましたからね。でも、齋藤選手はNOAHに上がり続けて、14年6月13日の後楽園ホールの三沢メモリアルで丸藤選手に「NOAHの齋藤彰俊として俺たちとこのリングを守ってください」と言われて、再び所属に戻りましたね。


齋藤 嬉しかったですよね。それまで契約上は藤波(辰爾)さんや長州(力)さんから大会出場のオファーがあった時もNOAHの所属ではないのに、毎回NOAHに「今度、この試合に出させてもらいます」って報告はしていたんですよね。たとえ自分が所属じゃなくなっても、やはり三沢さんのこともありますし、自分の心はNOAHと決めていたので。まあ、いらないことかもれしれないですけど、自分の中のけじめみたいな感じでそうやっていたんですね。そこでまた再雇用というか「また一緒にやろう」と言ってもらったのは凄く嬉しかったですし、そこにNOはないですよね。ただ、佐山(聡=初代タイガーマスク)さんに「シングルでやりたい」って仰っていただいて…。


――14年4月16日のリアルジャパン・プロレスの代々木で一騎打ちをやりましたよね(佐山がタイガースープレックスで勝利)。


齋藤 で、「一緒にやらないか?」みたいなことも言っていただいたんですけど「すみません、NOAHに決めました」ということもちゃんとご報告しました。


――いろいろあった齋藤選手のプロレス人生の後半戦では20年6月14日の無観客試合での潮崎選手とのGHC戦も外せません。敗れましたが、齋藤選手が試合後に「次に進む。これが第一歩だ」と言ったのが印象的で。あの試合は完結編ではなかったということですね。

齋藤 あの時も挑戦状という形で挑戦を表明(5月24日の無観客試合)させてもらいましたし、ファンの方も一番辛かった時期だったと思うんですよ。観戦できない、声を出せない。でもレンズの前ですから最前列で観ているみたいなところもあって…。

――コロナ禍のプロレス界は大変でした。

齋藤 あの時の雰囲気は何とも言えなかったですね。皆さん、防護服でカメラを構えての試合でしたけど、それだけに対戦相手の潮崎豪という男としっかり痛み合いながら体の会話ができたのかなと。あの時、負けましたけど「あっ、これで俺、次に進めるな。進むよ!」っていう気持ちでしたね。

――そして、今回のきっかけになった7月13日の日本武道館は世界ヘビー級王者の齋藤選手から潮崎選手を指名したわけですが、やはり潮崎豪は特別な存在ですか?


齋藤 そうですよね。例えば、あってはならないことですけど、戦争に行った時の仲間とかもそうでしょうけど、やっぱり6メートル四方に4人いた中(09年6・13広島=三沢、潮崎、齋藤、バイソン)の今現在生きてプロレスを通じて皆さんに何か伝えることができる唯一の男ですからね。なので特別ですよね。三沢さんの気持ちもいろいろ入ったでしょうから。直接は言われてないですけど、やっぱりわかるので。


――いよいよ11月17日の引退が迫ってきていますが、希望する対戦相手とか、こういう試合をしたいというのはありますか?


齋藤 それが今のところないんですよ(笑)。自分自身の中でいろんな歴史もありますけど、やはり「NOAHで!」という気持ちがあるので、NOAHの選手というのがありますけど、自分はまだまだやりたいことがあるんで、その時その時に思った人を指名したいと思います。


――11月17日に向けてファンの皆さんにメッセージがあれば。


齋藤 皆さんの中で齋藤彰俊という男がどういうアレかはわからないですけど…もっと主力で凄く人気があって、皆さんが推したいと思う選手がいっぱいいる中ですけれども、でも、NOAHの中で生きてきて、背中を見せますんで、ぜひ、生き様を見てもらいたいと思います。よろしくお願いします。恩返ししますから!


――これからのNOAHに期待することは何ですか?


齋藤 そうですね、8月も後楽園でN-1の3連戦があったんですけど、期待以上のものを今回見せられたかなという。今と昔とか、過去と未来とか、昔のNOAH、今のNOAHじゃなくて、今のNOAHでも昔のNOAHを感じられるようなプロレスを見せてもらいましたし、これから期待していることは、自分たちが期待しているもの以上のものを見せてもらいたいという、それですよね!


――これがラストの質問です。齋藤選手にとってNOAHとは、どんな場所ですか?


齋藤 いろんなことがありました。自分の中でこんなことがあっていいのかというようなことまでもありました。でも、これは人生…この世に生まれて、この世を去って、天に行って、また報告するまでなんですけど、生きるということはどういうことか。生きたくても心臓が止まる人もいる中で、生きるというのはどういうことかってことを身をもって教えてもらった、自分にとって大切な人生の場所ですね。


【「齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny」概要】


「齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny」

・2024年11月17日(日)愛知・ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)

 開場14時00分 試合開始15時00分

・主催:株式会社 CyberFight

・協賛:WINTICKET / ドットマネー / 株式会社マイクロアド / SmartNews / ザ・リーヴ / EZIGEN

・運営協力 SUNDAY FOLK PROMOTION


<チケット料金>

・VIPシート(最前列・特典付き) 50,000円(当日50,000円

 ※一部、前に実況席・本部席があるエリアがございます

・アリーナS席(2列目~6列目)    20,000円(当日20,000円)

・アリーナA席(7列目~11列目)  10,000円(当日10,000円)

・アリーナB席(12列目以降)       7,000円(当日7,000円)

・アリーナひな壇席               12,000円(当日12,000円)

・スタンドS席                    8,000円(当日8,000)

・スタンドA席                     6,000円(当日6,000円)

・スタンドB席                     5,000円(当日5,000円)

※本大会では小中学生は無料となります

・こちらは大会当日のみの対応となります

・大人の方が前売り券をすでにご購入の場合は並びになるよう手配しますが、

 お席は変更(席種変更も含め)になりますのでご了承ください

 ※差額分の返金などは行いません

・当日券販売中に予定枚数終了の場合もございますのでご了承ください

・事前のご予約などはお受けしませんのでご了承ください

・年齢、生年月日の証明出来るもの(保険証/学生証/マイナンバーカードなど)をご提示ください

・前売券にて売り切れの場合はご利用できません

・お席は主催者側で選定させていただきます

・大人の方と一緒に観戦を希望の際は必ず大人の方とご一緒に受付までお越しください

※車椅子でのご観戦につきましては、事前にプロレスリング・ノア事務所までお問合せください。

 プロレスリング・ノア https://www.noah.co.jp/contactform/


<チケット販売所>

・e+(イープラス)https://eplus.jp/noah/ (パソコン&スマートフォン)

パソコン&携帯にて予約→セブンイレブン全店、ファミリーマート各店頭にて購入可能

ファミリーマート店内Famiポートにて直接購入可能

・チケットぴあ【Pコード=594-150】

セブンイレブンにて販売・発券可能

・ローソンチケット 【Lコード:41110】

ローソン、ミニストップ店頭ロッピーにて購入可能

お問い合わせ先 https://l-tike.com/contact/


【「齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny」チケット販売スケジュール】

・一般販売:8月23日(金)12:00~


皆様のご来場、お待ちしております!

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