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【齋藤彰俊 引退直前ラストインタビュー】三沢社長の想いも背負う生粋の丸藤選手と見せたい「これぞNOAH!」 自分のNOAH人生を走馬灯のように感じてもらえるような試合がしたい

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 11月17日、愛知・ドルフィンズアリーナにおける齋藤彰俊の引退試合が目前に迫ってきた。齋藤本人が最後の対戦相手に指名したのは24年前の2000年10月11日、NOAH初参戦で対戦した丸藤直道だ。初参戦した会場、相手がラストマッチというのは、まさしく運命。24年間のNOAH人生の節目に必ず目の前にいた丸藤への想い、亡き三沢光晴への想い、そして熱いNOAH愛…これが齋藤彰俊のラストインタビューである。(聞き手/小佐野景浩)


――引退試合の11日前…11月6日の後楽園ホールで最後の相手に丸藤正道選手を指名しました。その理由を改めてお聞かせください。


齋藤 まずは自分の最後の試合はプロレスリング・ノアの選手であることが絶対条件だっったんです。で、(11・6後楽園で)丸藤選手と杉浦(貴)選手が次のGHC挑戦権を懸けてシングルで戦って…あの試合を観て、NOAHそのものを感じたんですよね。その時、ふと思ったのが愛知県体育館…今のドルフィンズアリーナで一番最初にNOAHに上がった時の対戦相手が丸藤選手と井上雅央選手だったなあと思って。で、その次に一度戦力外でNOAHから離れてもう一度NOAHの選手になるというけじめの時も丸藤選手との対戦だったんですよ。それと、これはずっと忘れないんですけれども、三沢(光晴)社長と丸藤選手がシングルをやった時に三沢社長が試合後に丸藤選手をおんぶして花道を帰っていったんです。その時に三沢さんの丸藤選手への想いを感じて、2009年のあの一件(6月13日、広島の試合中のアクシデントで三沢さんが急逝。最後の技が齋藤のバックドロップだった)以降、丸藤選手の後ろ、背中に三沢社長を感じるようになったんですね。で、自分がNOAHに再入団した時も「三沢社長に教わったのは…」とマイクで言われたんですよ。そうしたいろいろなことがあって、自分の起承転結の「結」の時に、またあの愛知県体育館…ドルフィンズアリーナでNOAHのリングを降りるんだと思ったら「これはもう丸藤選手しかいないな」っていう。それが本心ですよね。


――やはり思い出されるのは齋藤選手が初めてNOAHに上がった2000年10月11日の愛知県体育館で誠心会館の青柳政司館長と組んで、今言われた丸藤&雅央と戦った時です。青柳館長と齋藤選手は、その年の8月に旗揚げしたばかりのNOAHにとって初めての異分子でした。あの時、NOAH側には金丸義信、森嶋猛などがセコンドに付いて喧嘩モードでしたよね。齋藤選手も新日本プロレス時代の反選手会同盟、平成維震軍のイメージがあったんで、NOAHに殴り込むという感じでした。最後は齋藤選手が丸藤選手にスイクルデスで勝ちましたが、新日本とは違う根っこの丸藤選手の印象はいかがでしたか?


齋藤 自分たちは「テスト参戦だ」って言われていたんですよね。そんな中で戦って、違和感は確かにあったんですけど、どこか自分の中で「このNOAHを学びたい」っていうところも少しあったんですよね。昔からの性格で、敵対すればああいう形だったんですけど。でも今までの敵対と違って、ちょっと何か終わった時に心地よさを感じました。


――でも、勝ったにもかかわらず。さらに丸藤選手にストンピングを入れていました。


齋藤 そこは異分子として殴り込みをかける形だったんでそうやりましたけど、でも、そこまでやったということは、丸藤選手に何かを感じたからだと思うんですよ。試合が終わった後に行くっていうのは、今まで数えるほどでしたから。「これから先、すごく強くなって何かがあるんだろうな」というのを感じたからかもしれないです。丸藤選手は今まで自分が体験したことのないような動きだったりとか…あとは気持ちの強さですよね。あの時、確か丸藤選手が「俺にやらせてください」って直訴したっていうのは、あとで知りました。

――それから5ヵ月後、01年3月2日の両国国技館におけるZERO―ONEの旗揚げ戦にフリーとして参戦した時に齋藤選手は「心はNOAHにある」と。


齋藤 ZERO―ONEは元新日本の橋本(真也)さんが立ち上げたんで、ファンは「齋藤はどっちサイドなんだろう?」っていうのがあったと思うんですよ。だからあの時、自分はNOAHの4文字が入ったコスチュームを身に付けて「俺はNOAHだ!」と。


――その翌日のNOAHの3月3日のディファ有明で三沢vs丸藤が行われて、勝った三沢さんが丸藤選手をおんぶして引き揚げるというシーンが生まれました。そして、その次のNOAHのディファ有明大会…3月18日に『GHCヘビー級王座決定トーナメント1回戦』として齋藤選手は三沢さんと初めて一騎打ちを行い、タイガードライバーに敗れています。


齋藤 今でも忘れないですね。三沢社長が丸藤選手をおんぶして引き揚げたことは。「家族のような絆がある団体なんだな」って感じましたね。その後にGHCのトーナメント1回戦で逆指名のような形で三沢社長と当たることができて。そうじゃなければ、もしかしたら当たれなかったかもしれないですね。三沢社長が「齋藤って、どういう男なんだろう? どのぐらいのものなんだろう?」というのを見たいというのもあったんでしょうけども「俺を体験させてやろう」っていうのもあったのかなと、今となれば思ってます。


――体験させてもらった三沢光晴というプロレスラーはいかがでしたか?


齋藤 新日本プロレスと全日本プロレスが2大メジャーがあって“攻撃の新日本”と“受けの全日本”と言われてましたけど、全日本のほとんどの方がNOAHに移籍されて、それが自分にとってNOAHに行きたいと思った理由でした。もちろん新日本の選手も受けるんですけど、“受け”がどういうものかわからなかったんですよね。で、学生の頃からいろいろ格闘技を見てきたので「攻撃こそ強さだ」というイメージがあったんです。でも三沢社長と試合をした時に、隙があったから受けてしまうのではなく、「どうぞ、来いよ!」っていう感じで受けてくれたんですよね。すべて自分がやることを受け切られてしまって「あれっ、何をやったらいいんだろう?」って、もう手がなくなるわけですよ。その時に受けの強さというか、受けの恐怖、それとすべてを受け切る大きさを感じましたね。

――丸藤選手との関係に話を戻しますと、03年4月5日の金沢で秋山準選手と保持していたGHCタッグ王座を森嶋&丸藤組相手に防衛しています。最後、齋藤選手が丸藤選手をデスブランドでフォールしましたが、当時のジュニア・ヘビー級時代の丸藤選手の印象は?


齋藤 これも新日本と違うところで、新日本で唯一ジュニアとヘビーがやったのは橋本さんと(獣神サンダー・)ライガーさん(94年2・24日本武道館で一騎打ち)だったと思うんですけど、NOAHではジュニアとヘビーが普通にやるんですよね。で、もちろん体重とか衝撃はヘビーの方が上なのかもしれないですけど、そういう力をいなす丸藤選手の動き、タイミングを見計らって体重以上のダメージを与えるといったところが「ああ、だから三沢さんはそばに置きたかったんだな」「天才って言われるようになっていくんだな」って感じました。


――丸藤選手との関係としては、やはりNOAH再入団の時ですよね。2012年1月から所属選手ではなく、フリー契約選手という形になりましたが、2年半後の2014年6月13日の『三沢光晴メモリアルナイト』での一騎打ち後に丸藤選手から「あまり口にしないけど、俺が三沢さんから教わったものはプロレスの技術でも技でもない。大事なのは(胸を叩きながら)ここだと思います。齋藤さんがこの緑のマットに、三沢さんに誰よりも一番熱い気持ちを持っているのはよくわかっています。矛盾だらけかもしれないけど、俺の願いを一つだけ聞いてほしい。再びNOAHの齋藤彰人として、俺たちとこのリングを守ってください」と呼びかけられました。


齋藤 戦力外という感じでNOAHの一員から一度、舟を降りましたけど、丸藤選手に返答した「常に心はNOAHでした」は本心でした。だから呼び掛けてもらった時は何のためらいもなく「許してもらえれるであれば、本当にありがとうございます」でしたね。離れている間も丸藤選手がそう思っていてくれたというのは、やはり嬉しかったし、「三沢さんから教わったものは…」というのを聞いた時に「ああ、これがNOAHなんだ」というものを感じましたね。


――近年だと世代闘争の中で2018年7月28日の後楽園ホールで丸藤選手と組んで中嶋勝彦&マサ北宮のジ・アグレッションからGHCタッグ王座を奪取しました。あの時は新世代連合軍に対して、特に齋藤選手が「そうはいかんぞ!」という気概を見せていた印象があります。防衛戦のvs拳王&清宮海斗では拳王、vsマイバッハ谷口&コーディ・ホールのフーリガンズでは谷口をいずれもデスブランドで齋藤選手がフォールしています。その後、丸藤選手の怪我で王座返上になったのは残念でしたが…。

齋藤 世代交代を謳い出した頃で、どちらかというと自分はトップ戦線からズレていた時期だと思うんですけど「世代闘争だからこそ必要だ」と言われて、その時に「ああ、引いてる場合じゃないな!」というのがあって。そこでやはり「プロレスリング・ノアとは何か?」というものを後輩に伝えるために奮起したって感じですね。


――タッグパートナーとしての丸藤選手というのはいかがでしたか?


齋藤 それはもう何の心配もいらないですよね。自分が至らなかった時はすぐにフォローしてくれるでしょうし、暴走してもやってくれるでしょうし、任せればきちんと強さを見せてくれますしね。


――そうした様々な戦いがあった丸藤選手とラストで戦うわけですが、どんな試合を見せてくれますか?


齋藤 いろんなNOAHがあると思うんですよ。もちろん当日はGHC(清宮vs杉浦)もありますし、他の頑張っている選手たちの試合もありますし、ジュニア(ダガvsドラゴン・ベイン)もあります。その中で、後々まで「あれがNOAHなんだ」ってわかってもらえるもの…もちろん後楽園でやったGHCの選手権に挑戦するための丸藤選手と杉浦選手の試合も「これぞNOAH!」なんですけど、外様から入ってきてNOAHの一員になった男がどういうNOAHを見せるか? そして純粋な、生粋のNOAHの男がどういう闘いを見せるのか? 多分、リングに上がって降りるまで、自分のNOAH人生を走馬灯のように感じてもらえるような試合にしたいと思っています。


――引退を表明した時に「背中を見せます」「生きざまを見せます」と言いましたが、この引退試合は齋藤選手の人生においてどういうものですか?


齋藤 自分の中ではある面でゴール…これは100㍍走と一緒で、100㍍走の選手たちってゴール切るまで全力で走り抜けないと、本当のテープを切れないじゃないですか。それと同じで「背中を見せる」って言って、確かに戦いでは魅せていってるんですけど、その引退のゴールを切った時、その時に初めて後ろ姿を見せられると思うんですよ。齋藤彰俊とは、どういう選手だったか。リッジロード…尾根、山脈の背の部分を登っていく姿を見せたいなと。初めレスラーになる時は「何が何でも、この世界に向かっていく」って前向きだと思うんですよ。で、渦中にいる時はそこで自分をいろいろ磨きながら一生懸命に台風の目のように回り、最後に去っていく時は背中だと思うんですよね。だから、その背中を…どうだったのかという言葉ではなく、見てもらえたらなと思っています。


――これがラストです。ファンの皆さんにメッセージをお願いします!


齋藤 11月17日、ドルフィンズアリーナ…齋藤彰俊、プロレスラーとして、NOAHの選手として最後の闘いですが、生きざまを、そして、どういう闘いをしてきたのか、どういうふうに進んできたのかを見てもらえるように全力で頑張りますので。決して譲るつもりはない。最後までファイターとして全力で突っ走るので、ぜひ目に焼きつけてください。よろしくお願いします!



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齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny

・日程:2024年11月17日(日)開始 15:00/開場 14:00

・会場:愛知・ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)

〇小中学生入場無料!

〇高校生シート 2,000円販売!

※どちらも当日のみ対応となります。


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■11.17愛知・ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)大会 詳細は こちら


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