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「ノアにも時が来たのだ。4大GHC戦が開催される3・10横浜文体。大歓声が新生・ノアの船出を祝福する。」元スポーツニッポン新聞社プロレス格闘技担当、「コラコラ問答」の名付け親、丸井乙生記者のコラム

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2019.03.07

時は流れる。

2・24後楽園ホール、15年ぶりにノア興行を生観戦した。仕事から興行途中に駆け付け、場内右脇の廊下を進んだ。カーテン越しに昔と同じように歓声が聞こえる。体中に響く音が心地よい。

赤コーナー奥の会場隅は、今も報道陣エリアだった。見知った顔が多い。会釈をしつつ、リング上へ目をやった。試合を裁く西永秀一レフェリーに懐かしさを覚えたのも束の間、知っている顔が激減していた。特に外国人選手は全員はじめまして。プロレス担当記者当時、若手だった選手はみな中心人物へと成長を遂げていた。

3・10横浜文体のGHCヘビー級選手権前哨戦となる、王者・清宮海斗VS挑戦者・丸藤正道のタッグマッチが始まった。

今年で40歳を迎える丸藤はトップレスラーとしての体形を維持、いやむしろ進化させていた。若手時代を上回る努力の積み重ねが体に表れる。試合では腕殺しを徹頭徹尾貫き、後日の3・2茨城大会では足殺し。ツアー最終日のビッグマッチに向けて日々、相手の全身をまんべんなく痛めつけた。観る側としては「きょうはどこを痛めつけるのかな」と思わず楽しみにしてしまう、ドSにはたまらない理論構築だ。

王者・清宮はガムシャラな戦いぶりが今の持ち味か。傑出した大胸筋に若さがみなぎる。何よりエメラルドグリーンをまとった姿に違和感がないことは大きい。故・三沢光晴さんを象徴する、このグリーンのマットは3月10日に別の色に変更されるという。

ノアに変化が起ころうとしている。

15年前と、日本も変容した。当時の消費税はまだ3%。スマホは初号機が出始めたばかりだった。

2019年の日本では働き方1つ取っても非正社員が増え、フリーランスで働き、シェアハウスで暮らす若者も増加している。

2・24後楽園では、勝利を収めた杉浦軍がフーリガンズに解散を言い渡した。フーリガンズのKAZMAが杉浦貴にシングルマッチ対決を要求。社員ではない「フリーランス」の立場から吠えた。

「お前に何が分かる。フリーの厳しさ、俺の思い、フーリガンズへの熱い思い。いつも控室でダラダラしているお前には分からねえよ」

社員は仕事をしてもしなくても、毎月給料はもらえる。しかし、フリーランスはいい仕事をしなければ次がない。

見ている筆者自身の立場も時を経て会社員から経営する側に変わり、KAZMAの発言に共感を覚えた。“必殺仕事人”であり続けなければ生きられない側から見れば、社員時代の自分は実に甘っちょろいものだった。

一方、杉浦は「俺、ダラダラしてねえからな」と2回も言い返し、笑いを誘った。元自衛隊。理不尽込みの訓練を生き抜き、ノアではかつて取締役を務めた。経営に携わった者は「俺の気持ちは、お前には分からない」と口にしない。理由は「分からないと分かっている」からだ。

観る側も歳を重ねれば、試合の味わいが変化する。

 

そして、時間が解決することもある。2・19ジャイアント馬場没20年追善興行(両国国技館)では、かつての全日本プロレスを母体としたノア勢、秋山準率いる現在の全日本プロレス勢がひとつ屋根の下に集結した。00年、故三沢光晴氏が全日本から大量離脱した選手たちをまとめてノアが旗揚げし、02年に武藤敬司が全日本の社長に就任。13年には秋山準がノアから全日本に復帰、社長に就任した。長年にわたる大規模な地殻変動を経て、旧全日本勢が一堂に会した貴重な大会となった。

 

時代が移っても、変わらないものはある。18年12月にプロレスリング・ノア公式チャンネルでアップされた動画「マサオルーペ」では、微笑みをたたえたまま何も言わない井上雅央に安心感を覚えた。しかし何より、時代を超えても変わらないものはリングを包む大歓声だ。

 

剣道には「守破離」という教えがある。修行中は最初に師匠の教えを忠実に守り、基礎を身につけた上で自分の持ち味を生かし、最後は師匠の下から旅立って独自の道を切り開く。

故三沢氏が基盤を築いたレガシーは、ノアの背骨を貫いている。ただ、亡くなった人は歳を取らない。

ノアにも時が来たのだ。

4大GHC戦が開催される3・10横浜文体。大歓声が新生・ノアの船出を祝福する。

 

丸井 乙生(まるい・いつき)

1973年6月6日、青森県青森市生まれ。

青森県立青森高―中大法学部。96年スポーツニッポン新聞社入社。16年の記者生活で98年長野五輪を含め、カバディからプロ野球まで幅広く取材。プロレス、格闘技は01~04年、故橋本真也氏が旗揚げしたプロレスリングZERO1、全日本プロレス、プロレスリング・ノアを主に担当。長州力VS故橋本氏の口ゲンカを「コラコラ問答」と命名した。12年6月に退社し、スカパー・ブロードキャスティングで14年ソチパラリンピック担当を経て、同年秋に取材・リサーチ専門の株式会社アンサンヒーローを設立。元新聞記者、ライター軍団で主にスポーツ中継の翻訳、ニュース、ドキュメンタリー番組のリサーチ、取材を行っている。